【オーケストラ】私が考えるマーラー交響曲第6番「悲劇的」の魅力。
鹿児島伯林的管弦楽団による、マーラー交響曲第6番「悲劇的」の本番も次の日曜日と迫ってきました。
本当に名曲です!一人でも多くの方に足をお運び頂きたいです!!
鹿児島伯林的管弦楽団
マーラー交響曲第6番イ短調「悲劇的」
2011年8月28日 15:00開演(14:30開場)
宝山ホール(入場無料)
特設facebookページはコチラです!
練習しながらも、難曲であるがゆえに悪戦苦闘しておりますが、
すっかり、この曲の虜になっております。
つい、この曲のフレーズが頭に浮かび、曲の魅力を考えてしまいます。
私が考えるに、マーラー交響曲第6番「悲劇的」の魅力は、「人生」が
描かれていることだと思います。
音楽評論家パウル・ベッカーが以下のように述べています。
「意志を持った人間が世界、運命という動かしがたい障害と闘い、
最終的に打ち倒される悲劇を描いた作品」
(wikipedia:交響曲第6番 (マーラー))
うう~ん、素晴らしい。全て言い切られてしまいました。
しかし、そこから一歩踏み込んで考えますと、その悲劇に立ち向かう「人生」が
描かれていると私は思います。
1.喜び・迷い・幸せ・不幸・葛藤・戦い・・といった感情や状況の中で
生きている「人間」
2.そういった人間に立ちはだかる、覆しようの無い「運命」
(天命や宿命と言ってもいいかもしれません)
3.そして、(最後は打ちのめされ、倒れることになっても)その運命に
立ち向かう人間の営みや一生のことが「人生」
これらがマーラーの筆を通して、あふれんばかりに描かれている。
だからこそ、この曲の引きつけられているのだと思います。
ウィーン宮廷歌劇場の音楽監督の職にあり、
美しく聡明なアルマという妻と結婚して、
二人の娘に恵まれていた。
こんな仕事もバリバリ、新婚ホヤホヤという状況の中、
「悲劇的」という交響曲を作曲してしまう。
そんなマーラーという作曲家の業というか、人間として、表現することに
対する凄みというものを感じずにはいられません。
第3楽章(アンダンテ モデラート)前半をご覧ください。
「人間」マーラーが描いた人間離れした天上的な響きから音楽が始まります。
Mahler: Symphony No. 6: Mov. 3 – Part 1 of 2
そんな曲を8/28(日)宝山ホールで演奏します。
是非是非、足をお運びください!!
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この投稿へのコメント
初めまして。
日曜日のコンサートの感激、感謝の気持ちを楽団の方にお伝えしたく思い、コメントさせて下さい。
いつも意欲的なプログラムに心魅かれながら、都合がつかずここ数年コンサートを拝聴する機会がなかったのですが、今回の公演を(神の啓示か)前日に知り、宝山ホールに伺いました。
マーラーの曲の実演に接するのは今回が初めてでしたが、鹿児島伯林的管弦楽団の皆さんの熱気溢れる演奏に、マーラーの音楽の多彩な表情を「がっつりと」堪能した一時間半でした。
今までマーラーの巨大さ(長さ、編成、内容)に気圧されて、その音楽を楽しむ勘所をつかみかね今ひとつ馴染めずにいましたが、今回の機会が私にとって「マーラー者」へのブレイクスルーになりそうです。
馴染めないと言いながらも前から好きだった3楽章(「ベルベットゴールドマイン」というグラムロックの映画で使われていました)では、思わず涙がこみ上げましたよ!
終演後は熱演を思い返しながらいそいそと帰宅、一人ベルギービールで乾杯した次第でした。
あのような大編成、鹿児島ではメジャーとは言えない曲をステージにかけるのは大変だったと思います。楽団の皆さんの情熱には本当に頭が下がります。すばらしい演奏を本当にありがとうございました。ひとえに感謝の気持ちでいっぱいです。
来年の公演も楽しみにしています。
そのうち、シベリウスの交響曲4,5,6番やブルックナーの8,9番の鹿児島初演などいかがでしょうか。
>茂利さん
あたたかいコメントありがとうございました!!
お楽しみ頂けたようで、こちらも嬉しく思います。
あんな難解で巨大な曲・・。
演奏する方もですが、聴かれていたお客様も大変だったと思います。
ですが、あの響きや時間を共有出来たことが素晴らしいと思います。
指揮者が指揮棒を置いた瞬間に湧き上がった拍手。本当に嬉しかったです。
シベリウスやブルックナーも良いですね!!
また次回の演奏会の詳細が決まりましたら、ご連絡いたします。